舞台芸術学院とは

舞台芸術学院とは舞台芸術専門課程のみが設置されたわが国唯一の専門学校です。
世界にも類をみない60年以上の伝統と実績を持つ演劇学校として
多彩なカリキュラムを通じ、専門性と社会性を持ったアーティストの育成を
目指しています。

 

 「教育目標」

俳優として適応する力を養う

舞台芸術の様々な分野を通して身体訓練と声の訓練そして表現力を養いあらゆる表現に対する「適応力」を身につける。そのために1年次、2年次の目標を掲げ2年間の教育の流れを各授業に反映し、俳優としての技術面、意識面での向上を促す。 

1年次 受容し蓄える 

新しい言葉を知るには、文法を知る必要があるのと同様に、新しい表現を知るには、それを表現するための方法を知らなければならない。

表現を知るには、言葉の理解に加え感覚の理解が不可欠である。

まず見ること、聞くことから始まって繰り返し実践することで言葉と感覚を理解できるようにする。

初めて見ること(動き、形)初めて聞くこと(声、音)に対して、受け容れるだけの感覚的な容量と身体的な容量を作り出す「受容力」を身につけることが1年次の目標。

2年次 発見し組み立てる

1年次の経験を基に、表現力を獲得するための方法論を発見し組み立てる力を養う。

前提として各専門教師が提示するルールを受容した上で発見されなければならない。

様々な表現分野において、より能動的な取り組みが試される。

その為に各専門的な現場に身を置き、自身の発見によって、表現力が豊かになることを経験することが必要。

主体性を持ってどのように考え、どのように振る舞い、どのように表現するかが目標。

 

 

 

「プロローグ」

1948年、焼け跡の残る東京・池袋。
すべてはここから始まりました。

演劇を志したひとりの青年、野尻徹。
彼は幸運にも復員し、池袋で演劇活動の拠点、
「スタジオ・デ・ザール」を開設しました。
しかしその志半ば、彼は27歳でこの世を去ります。
彼の演劇への「思い」はここで潰えたようにみえました。

しかし、彼のあまりにも早い死を悲しんだ
父、与顕は息子の遺志継承を願います。

「地に落ちた一粒の麦、徹死して幾百幾千の
舞台人となって実るであろう事を」

1948年9月13日、与顕は焼け跡の残る東京・池袋に
演劇を渇望した息子、徹の遺志を継ぐべく、
私財を投じ、若者が演劇に打ち込むための場
「舞台芸術学院」を創立しました。

以来、半世紀以上の年月が流れ、
息子から父へと継承された「思い」=「一粒の麦」は、
俳優、声優、歌手、ダンサー、演出家、劇作家…
わが国の文化芸術を支える
幾百幾千のアーティストとなって実りました。

かつて交わされた一組の親子の誓い。
「思い」を受けとめ、願い、育む。
すべてはここから始まり、
そして今も受け継がれています。

 

「1万5千人を超える卒業生」

演劇、ミュージカルはもとより、声優、歌手、ダンサー、コメディアンまた
劇作家、映画監督、プロデューサーなどさまざまな人材を輩出しています。

赤座浩彦、赤堀二英、あらい汎、いとうあさこ、池田勝、市村正規、五木寛之、乾アキオ、
鵜山仁、うつみ宮土里、大倉孝二、大岩石、甲斐まり恵、柿澤勇人、片山忠彦、葛タカ女、
金井大、金内喜久雄、金房実加、金田和洋、上条恒彦、伽藍琳、鬼頭典子、木下育、木野花、
佐藤祐四、少路勇介、末木利文、鈴木智香子、鈴木れい子、左右田一平、田中彰孝、
竹本敏彰、田村孝裕、辻谷耕史、団こと葉、新田知洋、羽佐間道夫、濱田めぐみ、東秀昭、平岩紙、
広渡常敏、福井晶一、古屋治男、ベンガル、細野英延、蓬莱竜太、本田誠人、前田司郎、麿赤児、
もたいまさこ、役所広司、山田洋次、吉野寧浩、吉田明美、李麗仙、渡辺えり、我善導
(敬称略)ほか多数