![]() 初代校主 野尻与顕 のじりよしあき (1885.5.17〜1960.3.22) |
山形県生まれ。学院創設者。医師。東京豊島区に野尻医院を開設し、産制運動を通じて社会運動家に多くの知己を持つ。 1945年次男徹の復員後は、妻昌子と力を合わせて徹の演劇活動を支援のため廃虚の中にスタジオ・デ・ザールを建設した。 1948年徹の死とともに、この志を生かすため舞台芸術学院を創立し、自ら初代校主となる。 |
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![]() 初代学長 秋田雨雀 あきたうじゃく (1883.1.30〜1962.5.12) |
青森県生まれ。本名徳三。早稲田大学英文科卒業。島村抱月の芸術座に参加して劇作の仕事をする。ほかに詩作、童話著作多数。 大正中期劇団先駆座を組織してプロレタリア演劇運動に力を注ぎ、1934年新劇大同団結の提唱に加わり新協劇団幹事長、演劇雑誌テアトロ編集長のほかエスペラント運動に従事。 1950年日本児童文学者協会会長。 1960年郷里黒石市名誉市民。 |
![]() 初代副学長 土方与志 ひじかたよし (1898.4.16〜1959.6.4) |
東京生まれ。本名久敬。演出家。東京大学国文科を経て小山内薫に師事。 1922年渡欧し演劇を学ぶ。小山内と協力し私財を投じて築地小劇場を建設。1929年に新築地劇団を旗揚げする。 1938年にはモスクワに渡り私立革命劇場演出部に籍を置くが、3年後の帰国と同時に治安維持法により逮捕されて入獄。 戦後中央演劇学校校長、舞台芸術学院との併合により学院副学長となる。 |
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![]() 第二代学長 浜村米蔵 はまむらよねぞう (1890.3.12〜1978.12.20) |
東京生まれ。早稲田大学英文科中退。歌舞伎座作者部屋を経て、帝国劇場文芸座主任。六代目菊五郎俳優学校講師。戦後は俳優座養成所及び本学院講師。1963年1月、学長に就任。著書「歌舞伎の見方」等。 |
![]() 第三代学長 児玉好雄 こだまよしお (1903.1.28〜1986.10.20) |
広島県生まれ。パシフィック大学芸術科、ミラノ音楽院。1935年日本ビクター、1941年キングレコード専属。“無情の夢”などの歌手として名を馳せた。1978年学長代行後に学長就任。 |
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![]() 第四代学長 兼八善兼 かねはちよしかね (1931.2.3〜2000.2.22) |
福井県生まれ。早稲田大学露文学中退。新演劇研究所、劇団青俳を経て劇団新舞台を主宰。1964年より学院講師として上演実習を担当。1990年学校法人舞台芸術学園理事長、学長。 |
![]() 第五代学長 永江厳 ながえいわお(1927.8.11〜 |
天津市(中華人民共和国)生まれ。演劇部本科1期卒業。 小牧正英バレエ団を経て、笹本公江バレエ団を創立。 東京バレエ協会を設立。社団法人日本バレエ協会専務理事(2006年6月迄)。 国際演劇協会(ITI)理事。 1996年より学校法人舞台芸術学園理事長、専門学校舞台芸術学院学長。バレエ・クラシック顧問 |
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現学長 のむらまん(1930.1.10〜 |
東京都生まれ。故六世万蔵の長男。日本を代表する狂言の第一人者として、1997年重要無形文化財個人指定(人間国宝)の名誉を受ける。芸術院会員。文化功労者。東京都名誉都民。1950年に四世万之丞を、1993年七世万蔵を襲名し、2000年に初世萬となる。現在も多くの舞台で活躍する傍ら、後進の育成にも力を注ぐ。また社団法人日本芸能実演家団体協議会会長を務め、日本の芸能の発展・振興にも尽力している。 芸術祭優秀賞、日本芸術院賞、紫綬褒章ほか受賞多数。 |
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